雑記10・翳り

最後に更新したのが約150日前。約半年といわれる時間で自分はどう変わったのだろうか。結論から言って何にも変わっていない。毎日同じような気候、変わらない日常、変わらない自分、変わろうとする自分、変われない自分。

自分に嫌気がさして全部どうでもいいやと思って投げ出してしまうけれど、数日経てば何事もなかったように生きている。同じところをぐるぐる回っているように思えてならないがその度に罪悪感は出てくるので一応進んではいるのだろうか。

いろんなことを始めては気がついたらやめていた。いろんなことを表面的には知っているけれど本質的なことは全く知らない。いろんなジャンルの玄関まで挨拶して回って、こんなものかですませてしまう。本質的なものがわかってからが面白いだろうに。そう考えると自分は実にもったいないことをしているんだろうね。経済的な損失とか世の中の大人達はよく考えるけれど、それを自分に当てはめてみたときに莫大な“私的な”損失をしていることに気付く。自分の中で内省してはいろんなものを落としそれを取り戻せないことに気づいて後悔する。

表面的にしか物事を捉えていないのかは分からないが物事を深く考えることが自分にはすごく苦手で、怖くて、ある一つのことに対して何十時間も時間を割くのは何かもったいないと思ってしまう。それがたとえ自分にとってすごく大切だとしても。例えば、一目見ただけで心を揺さぶられる絵があったとしよう。そして細部を細かく見ても美しい、時が経つにつれてもその美しさは変わることなく、さらに言うならばいい方向に変わっていっていく、もしくは使い古した愛着品みたいに味が出てくる。そしておもう、こんな風に書けたら楽しいんだろうなと。でもそこに至るまでの書いた人の努力やその絵にかけた時間などは考えない。自分に自信がないのか、そんな絵を自分が描けると鼻から思ってないんだろう。そして勝手に自分になんて描ける訳ないと納得してしまっている。だからだろうか、いつしか前提から自分を否定してしまっているのは。

 6、7年前の某テレビ番組を思い出して自分もあんな風に時を遅くできればいいのになぁと思う。あんな風にというのは心のどこかで他人行儀になっている自分がいることに気づく。自分ができればいいことなのだろうに。

いつからだろうこんな風になってしまったのは。どこで道を間違えてしまったのだろう。ていうか道なんてない。間違いさえもない。