ピリオド 雑談13

愚直というのは大事だ。何事も受け止めて自分に反映する。一見騙されやすいなんて思われるかもしれないが、意外と騙す奴なんて少なくて本気で助けたいと思ってる奴が多いと私は思う。あぁ勝手に騙されるんだと錯覚して勝手に相手を疑って、しまいには自分さえ信じられなくなってどうでもいいやとなるんだろうか。疑心暗鬼の檻。どうでもいいやとなったあとすぐに立て直せるひとは強い人。強くない人、要は私みたいなのは何日か下手したら何週間何ヶ月かかかってようやく自分を立て直せる。悲劇のヒロインですいません。
繊細なんだと思う。保護者会、担任の前で結構この子は繊細なんて言われたときはどきっとした。他人からの自分なんてどんなものかその時は全く気にはしていなかったのけれど、その時の状況とか心象はとても鮮明に覚えている。まるで仲の良いと思っていた友達の陰口を聞いたみたいに。人を殺したいほど嫉妬や妬みを持ったことはない、1番になったことも特にはない、平々凡々。なのにこの世界で自分は特別なんだ、ユニークだなんて人一倍強く思って必死だった。それは平凡だと思いたくない自分の裏返しであって、今も必死かもしれない。必死に生きてきた結果、異国の地にいてこんなクソみてえなことを永遠と書いている。いくらでも書けるさ、そういくらでもね。新しく得た知識、水を得た魚、学ぶ楽しさを知った人、とても羨ましいな、自分のことなのかな、成績のことばかり考えて結局直前になって現実逃避に走る。んで勉強しなくて、最悪の結果が帰ってくる。純粋に学ぶことが楽しいと思えている人はそれが結果になって合わられている人はそれがどんなに幸せだろう。
私は前に進めているんだろうか、いや確かに大気はなったし重くもなった、できることも増えた、できないことも増えた。

コンシスタンシィ 雑談13

時間が経つのは早いもので気がつけばもうあれから4年が経つ。あれからの部分は何に置き換えてもいい。振り返ってみると頑張れない自分がいて、日によっては頑張れてる自分がいて、気がついたら怠惰な自分に戻っている。日替わり定食みたいに毎日の自分は違うわけでほぼ70%は怠惰な自分だ。誰かが言っていた人間は全体の10%〜30%の脳、能力を発揮できていないのだとするとそのうちの70%は怠惰なわけだから自分はものすごい怠け者なんだなと痛感する。どうすればいいのか分からなくなって結局まぁ明日でいいよねとか期限ギリギリまで引き伸ばして最悪の事態を何度も招く。プロクラスタネイトするのはダメだよ、毎日やろうとか思っていても結局その日を迎えてしまって後悔する。それが積み重なって数字として現れてさらに自分自身で自分を貶め追い込んでいく。私は自分に苛立つと同時に悲しくもなる。どんでん返しなんてない、ただやるだけだと違う自分が言う、わかってはいる、ヘミングウェイの主人公みたいに行動で示す方が絶対いいに決まってる。決めつける。そうでないとこの年数が私に深く教えてくれる。どうやったって後悔は残るのはわかってる、あの時ああすればとか、この道を選んでいればなんて、それは過去の点と点を繋いだ結果であって結果を出したいなら結局やるしかないよね。質も量ももちろん。理論ばっかりの頭でっかちになって何にも手につかないよりはやってくうちに、ふうんこんな理論もあるんだなとか頭の片隅に置いてやって自然と体系的に身についていく方が真っ当だわ。ああ、あと4日でテストだ、教授は1ヶ月の猶予を与えてくれていてのに自分はなんて愚かなんだろう、なんでこんなことをつらつら書き連ねているんだろう。resumeのためにもうごかないとね、体が鉛のようだよ。

 
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これを読む返す自分へ

とりあえずやれ。

雑記12・笛吹けども踊らず

 

万人が素晴らしいと言う授業をするのは大変だ。一人一人の背景知識、理解力の速さ、集中度、どれを取ってもバラツキがあってそんなの無理だから諦めて一方的なものにしてしまうのか、いや、ある程度理想に近づけていくのかではロケットの最初の離陸地点が少し違っただけで変わって来る様に全く違ってくる。教える側も本気でなくてはならない。

自分の中で新しいことを始めるというのは少し疲れる。疲れるだけに得るものも大きい。

吐く様に歌う。これはたとえだ。吐かないし、吐きそうになったら歌うのをやめる。吐いてしまったらどうしようかななんて考えてる間に昼が過ぎる。

I'm so lonely. I'm so lonely. I'm so lonely. King KruleをLonely Blueをひたすら聞いては吐き気を催す。自分が気に入った音楽を1週間聞きまくる→飽きるのサイクルで日々の生活は流れていく。

友達と約束をした。自分にとってはさほど重要でもなく、相手との距離感が生じいつしか連絡もしなくなった。

けたたましくスマホのアラームが頭の中をかき回して来る。うるせえなぁと思いながらつけたのはどこのどいつだよって無意識に毒づいた後、我に帰る。

自分は何をしたいのだろう。楽しく生きるにはどうすればいいのだろう。最近こればかり考えている。メディアで取り上げられるすごい人たちは大変頑張ったのだろう。水面下の努力を一朝一夕でやってみるかなんて思ってしまう自分が情けない。

常態と敬体が入り混じり過ぎている。これは良くない。

頭のいい人たちの会話に混ぜてもらい、録音して後日聞き返しては緻密に整理された会話を叩き込んでさも自分がスマートであるかの様に振る舞う。

次の日の予定を寝る前に立てる時間を作る。

17日木曜の七時にこれを書いている。全く気力が起きず動画や何もやらずに無駄にしてしまった時間が過ぎた。とても大事な時期なのにどうしてか逃避機構が働いてしまう。月曜はA早く終わって家に帰りBを頼んで二時から始まるCに行って気付けば一日が終わっていた。火曜日はなんだっけか。D,Eが終わって家に帰って動画を見て終わった。明日は確かCの最後だったはず。もっとできたはず。この最も大事な時期に生活リズムが乱れていた。直そうとしてもうまくいかないものだ。まだ取り返せるだろうか。明日はFだ。Fも定期的にしよう。

後半が良くなかった。常に考えよう。

 

雑記11・最古の酒と腐った乾酪

眼に映るものを思い出し並べながら文章にしていく。自分がやってきたことに対して如実に結果が出るのはわかっている。人はそれがわかっていながら逃げる様にプログラムされてる。防衛本能として、ランダムに起こる物事に対して60%は逃げるようにはなってるんじゃなかろうか。

文章が出てこない。面白い生き方をしてないからだろう。私みたいなのが世の中にはたくさんいるからよくわからない同じようなビジネス本は売られていく。そして巷では売り上げを確保するためにいろんなキャッチコピーがある。僕からしたらどれも同じだけど。どの様に生きるか、マインドセット、対話術、ありとあらゆるものがいろんな服着せられて、市場で価値をもたらされて売られている。

大人は私にお前の生き方は間違っているなんて言われたけどお前はどうなんだって心の中で毒づく。正しい生き方ってなんだ。あながちみんな生き方なんてわからないじゃないか。安定を求めて生きるのが正しいのか、先生という安定を求めた公務員には安定をというものを今の若者にはもたせたいのだろうか。道は限られていると思っている。

本を読もう、いろんなことを知ろう、いろんな生き方、道があることを知ろう、まだ遅くない。自分がそこで諦めたら試合終了なんてどこかの世界の監督が言っていたけど、確かにそうだ、平均寿命から自分の年齢を差し引いてもまだ長い人生を短い一日と例えたら朝が明けたくらいじゃないか。道は長い、先を見据えて今を精一杯生きていこう。今はまだ眠い。

 母の日がやってきた。毎年サボらずにやってくる特別な日はあまり面と言えないこともこの日だから言えるよねと割り切れる。特にそんな機会もそうそう巡ってくるわけもなく。ただただいつもありがとうと言えばいいだけなのに それさえ言えないのは無償の愛というのが普通すぎる家庭だったからだろう。ありがたい。

ワインについて語る人。最古のお酒。ギルガメシュ叙事詩なんて教科書で聞いた単語に記述があるらしい。良いワインは良いエビから。此のエビはいいだの悪いだの犬と同じくらいの嗅覚があれば一発でわかるのだろうか。赤、白、ロゼ、スティル、フォーティファイド、フレーバード、スパークリング、醸造か蒸留か混成か、アルコール度数は高いのか低いのか、果実は何が使われているか、何処産か、名前も覚えないと。箔が付いたものを手にとって『今年はいい葡萄だね』なんて言えたらお手の物。料理というものはマリアージュ(フレンチで結婚)、つまりは組み合わせが重要で白魚、赤肉はよく耳にする。食べ合わせで思い出したけどホームパーティでは和洋折衷各家庭が作ってくるから玉石混交で、なんて贅沢なことは言っていられない。思えば和食洋食ミックスなんて聞いただけでクラクラする。

 

雑記10・翳り

最後に更新したのが約150日前。約半年といわれる時間で自分はどう変わったのだろうか。結論から言って何にも変わっていない。毎日同じような気候、変わらない日常、変わらない自分、変わろうとする自分、変われない自分。

自分に嫌気がさして全部どうでもいいやと思って投げ出してしまうけれど、数日経てば何事もなかったように生きている。同じところをぐるぐる回っているように思えてならないがその度に罪悪感は出てくるので一応進んではいるのだろうか。

いろんなことを始めては気がついたらやめていた。いろんなことを表面的には知っているけれど本質的なことは全く知らない。いろんなジャンルの玄関まで挨拶して回って、こんなものかですませてしまう。本質的なものがわかってからが面白いだろうに。そう考えると自分は実にもったいないことをしているんだろうね。経済的な損失とか世の中の大人達はよく考えるけれど、それを自分に当てはめてみたときに莫大な“私的な”損失をしていることに気付く。自分の中で内省してはいろんなものを落としそれを取り戻せないことに気づいて後悔する。

表面的にしか物事を捉えていないのかは分からないが物事を深く考えることが自分にはすごく苦手で、怖くて、ある一つのことに対して何十時間も時間を割くのは何かもったいないと思ってしまう。それがたとえ自分にとってすごく大切だとしても。例えば、一目見ただけで心を揺さぶられる絵があったとしよう。そして細部を細かく見ても美しい、時が経つにつれてもその美しさは変わることなく、さらに言うならばいい方向に変わっていっていく、もしくは使い古した愛着品みたいに味が出てくる。そしておもう、こんな風に書けたら楽しいんだろうなと。でもそこに至るまでの書いた人の努力やその絵にかけた時間などは考えない。自分に自信がないのか、そんな絵を自分が描けると鼻から思ってないんだろう。そして勝手に自分になんて描ける訳ないと納得してしまっている。だからだろうか、いつしか前提から自分を否定してしまっているのは。

 6、7年前の某テレビ番組を思い出して自分もあんな風に時を遅くできればいいのになぁと思う。あんな風にというのは心のどこかで他人行儀になっている自分がいることに気づく。自分ができればいいことなのだろうに。

いつからだろうこんな風になってしまったのは。どこで道を間違えてしまったのだろう。ていうか道なんてない。間違いさえもない。

雑記8・怠惰

継続というのは難しいのかもしれない。やるぞと思い立った日から一週間も経つとそのやる気さえどこか遠くへ行ってしまっている。

安心を求めるために頑張らないといけないのならどうでもよくなってくる。みんな安心が欲しいのだ。心の底で人を蹴落としてやろうなんて考えが醜い。一度、寺に入って一からやり直すといい。少しはマシになるだろう。

自分の考えを客観視するというのはまず無理だ。いくらノートにとって日にちを経て、こんな考え事をしていたなんて思っていても、結局独りよがりでしかならないからだ。

無知を重ね自分がどれだけやってこなかったかを思い知らされるテストが嫌いだし自分が嫌になる。

浮雲長岡亮介)というミュージシャンが好きだ。最近になって椎名林檎関係からやっと知ったんだけど雰囲気といい、曲といい、芸名といいドツボにはまってしまった。『雨』は特によくできている。雨の日というか雨上がりの方が自分の中ではしっくりくる。

自分は怠惰です。怠惰になっている自分に嫌になりますが、そんなことを考えることが面倒なので、もう少し、やる気が芽生えてくれるまで怠惰でいようと思います。

動き出せばやる気なんて出てくるなんていいますが、頭で考えているうちに動けなくなってしまいます。嫌なことを考える前に別のことを考えたり、無理矢理他のことを考えたりすることが病むことを防ぐそうなんですが、それは根本的解決なのかと思ってしまう。根本的解決なんてないかもしれないけど。自分の中でそいつは殺してしまおうということなんだろうか。

また同じことの繰り返し、繰り返し、飽きないように、飽きないように。